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【アドラー】あなたが感じているのは劣等感ではなく劣等コンプレックスかも

うっちーです。

今回は、アドラー心理学についてのお勉強の時間です。

僕は、アドラー心理学に救われたと思っているので、是非この考え方を共有しようと思い記事にします。

前回の記事はこちらから!

適応障害から救われたアドラー心理学とは?【目的論について】こんにちは。 あとがたりぶろぐを運営しているうっちーです。 このブログを始めてから、そろそろ1ヶ月が経とうとしており、この記...

これを読んでくれているあなたは、劣等感を感じたことがあるでしょうか

愚問でした。もちろんありますよね。

むしろ劣等感を抱かずに生きている人間がいたとしたら、僕はその人の人間性を疑います。

僕が今抱いている劣等感を少し書き出してみます。

・新卒で適応障害になり現在ニート(失業手当がそろそろもらえなくなる)

・人前で話すのが苦手

・声が小さい

まあ、全部ではないですけど、今はこんな感じですかね。

他にも、Twitterを見ている時に感じるのは、「同年代の人や、年下の人たちがあんなに実績を出しているのに、自分は何をしてるんだろう」といったこともたまに考えます。

これを読んでくれている方の中にも、身近な友人が幸せそうにしているのを素直に喜ぶ気持ちよりも先に、焦りや焦燥感、嫉妬という気持ちが出てきてないでしょうか?

こういうふうに、人と比べて「自分は人よりも価値が少ない、劣っている人間である」という感覚を、「劣等感」という言葉で表現したのは、アドラーが最初だと言われています。

しかし、「自分は人より劣っているから、どうせ何をやっても成功できない」と考えるのは、劣等感ではなく、劣等コンプレックスである、というお話を共有したいと思います。

前置きが長くなってしまいましたが、どうぞ!

劣等感というのはあなたの思い込み

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アドラーは、劣等感のことを「価値がより少ない感覚」という意味で使いました。

要するに、劣等感とは、自らの価値判断に関わる言葉です。

上述した、「自分は人よりも価値が少ない、劣っている人間である」という感覚ですね。

具体的に、僕の持つ劣等感について思っていたことをお話します。

バスケ部時代「声が小さい」と怒られ続けた

僕は、中高バスケ部のキャプテンをやっていたのですが、中学高校どちらも「声を出せ!!」と監督や先輩やメンバーや親達にボロクソに怒られていました。

中学生の時は、僕の声があまりに届かないから、声を出す順番にユニホームを配るということもありました。

キャプテンなのに、後ろから数えたほうが早かったです。

今思えばかわいい思い出ですが、当時は地獄のような空気だったので、「キャプテンなのに情けない!」と親に泣かれたこともあります。(本当につらかった思い出)

自分では、声を精一杯出しているつもりなのに、声が小さいからみんなに聞こえてないんです。笑

しかし、当時の自分は、親の言う通り、キャプテンなのに声が小さくて怒られるなんて、なんて情けないんだろうと考え、「声をもっと響くように出せれば、監督や親に怒られないのに」と思っていました。

それからずっと、人と話す度に自分の声は届いていないんじゃないかとドキドキするようになり、人見知りになってしまったことが最近まで長年の悩みでもありました。

しかし、仲の良い友人にこの悩みを打ち明けたところ、「そんなことないと思うけどね」と言われました。

「確かにうっちーは声小さめだけど、僕は声が大きい人はなんか怖いし、うっちーくらいの声の大きさの方が話しやすいし、居心地いいよ」

と言ってくれたのです。

最近になってこの言葉を思い出し、声が小さいことは、自分にとっても相手にとっても、良いことだったのかもしれないと思うようになりました。(本当に最近からです)

つまり、声が小さいという僕の劣等感は、「劣等性」ではなかったということです。

主観的な解釈は自分で選択可能である

確かにバスケというスポーツは、瞬時の判断が必要不可欠で、チームのみんなと連携しなければ勝てないスポーツなのです。

声が小さいということは、チームメンバーとの意思疎通がしづらいということになるので、バスケをすることにおいては、欠点になりうるかもしれません。

しかし、問題なのは、その声の小ささを日常生活に持ち込み、「人と話す度に自分の声は届いていないんじゃないかとドキドキするようになり、人見知りになってしまった」と思い込んでいたことです。

僕たち人間を苦しめるのは、「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」だということです。

僕の声の小ささは、「居心地良く思ってもらえる」、「怖がられない」という観点で見ると、長所になりうるという気づきを得ました。

これは主観的な解釈で、僕の勝手な思い込みですよね。

でも、主観には、自分で選択可能であるというメリットがあります。

「声の小ささ」を良いと捉えるか悪いと捉えるかは、僕次第だったのです。

劣等感を抱くのは悪いことではない

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アドラーは、劣等感を抱くこと自体は、誰にでもあることであり、悪いことではないと語っています。

それについてここで書いていきます。

人間の持つ「優越性の追求」とは

人間は、無力な存在としてこの世に生を受け、その無力な状態から脱したいと願う普遍的な欲求を持っています。

これをアドラーは、「優越性の追求」と呼びました。

・赤ちゃんがよちよち歩きから、2本足で歩けるようになる

・言葉を覚えて、周りの人と意思疎通ができるようになる

今こうして、僕がTwitterを使いながら、ブログを更新できているのも、人類の持つ「優越性の追求」があったからです。

「優越性の追求」と「劣等感」は対になる

人はだれでも向上心を持っており、何らかの理想や目標を持って生きています。(優越性の追求)

僕の今の状態だと、仕事に就きたい、という欲求ですね。

みなさんにも、なんらかの理想の生き方や目標があるのではないでしょうか。

しかし、理想に到達できていない自分に対して、「自分には価値がない、劣っている人間である」かのような感覚を抱くのが劣等感です。

アドラーはこう語ってます。

「優越性の追求」も「劣等感」も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激剤である

使い方を間違えなければ、劣等感はバネになると言います。

新卒で適応障害になったけど、自分のやりたい仕事を見つけるために、一歩でも前進しようとする。幸せになるために努力しようとする。

【前篇】新卒で適応障害と診断され退職した理由【心の病気は甘えじゃない】こんにちは。当サイトを運営しているうっちー(@ucchi_ato)です。 これを読んでくださっている新卒の方、もしくは教育係として...

こういう劣等感のありかたは、何の問題もないと言っています。

あなたが感じてるのは劣等感ではなく劣等コンプレックスかもしれない

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ようやくこのテーマの本題にやってきました。

あなたの劣等感はわかったけど、じゃあ何が問題なの?という方は、ここだけでも読んでいってください。

先程、こういうツイートをしました。

「学歴が低いから私は成功できない」

「不器用だから私は結婚できない」

というのは劣等感ではなく劣等コンプレックス

この部分に注目してみてください。

こういう考え方は、「状況は現実的な努力によって変えられる」という事実を受け入れられない人が陥ってしまうパターンです。

偉そうに書いてますが、僕もなかなか現状を変える努力ができない時があります。

なにも行動しないで、「どうせ自分にはできない」、「どうせ頑張ったところで成功しない」と諦めてしまうんですよね。

しかし、これは、劣等感を抱いているのではなく、劣等コンプレックスを抱いています。

劣等感と劣等コンプレックスという言葉は、似ているようでぜんぜん違う意味です。

劣等コンプレックスとは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めている状態です。

僕の場合だと、「声が小さいから、色んな人とは話せない」と決めつけていた状態ですね。

劣等感を感じてる場合、「声が小さい」から、なかなか自分の意志が伝わりづらい。

だからこそ、「人に伝わるように話すにはどうすればいいか」と考え努力するのは、むしろ望ましい話です。

「学歴が低いから私は成功できない」

「不器用だから私は結婚できない」

「Aであるから、Bできない」という考え方は、もはや劣等感の範疇におさまるものではなく、劣等コンプレックスであるとアドラーはいいます。

劣等コンプレックスは「見かけの因果律」である

・学歴が低いから私は成功できない

・不器用だから私は結婚できない

一見すると、因果関係がありそうな気がしますが、 あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまうことを「見かけの因果律」と呼びます。

言い訳じゃなくて、学歴が低ければ、就職や出世の機会が奪われ、社会的に低く見られて成功できないんだよ!

と思ってはいけません。

問題は、そういった状況にどう立ち向かうかが重要であるとアドラーはいいます。

「私は、学歴が低いから成功できない」のではなく、「成功したくない」という目的が先に来ていると考えなければならないのです。(目的論)

単純に一歩踏み出すのが怖く、現実的な努力をしたくない。

今の自由な時間を削ってまで、変わらなくてもいい、と思っているのではないでしょうか。

好きな漫画やアニメを見る時間を削ってまで、変わらなくてもいい。

友人との飲み会が楽しいから、その時間を削ってまで変わらなくてもいい。

多少の不満や不自由があっても、今のまま、平穏な状態が楽、なんですよね。

人生は他人との競争ではないです

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わかりました。私は、確かに劣等コンプレックスを抱いています。

と素直に思った方のために、アドラー先生からのありがたい考えを紹介して終わりにしたいと思います。

ちなみに偉そうに書いていますが、僕自身、自分に言い聞かせるように書いているので、なんか生意気だなと思った方は、こういうことだと思っていただけると嬉しいです。

「優越性の追求」というと、他者より優れていようとする感覚、人々を押しのけながら階段をのぼるイメージをされるかもしれませんが、この感覚は違います。

そうではなく、「同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる」とイメージしましょうとアドラーは言っています。

「優越性の追求」とは、自らの足を一歩踏み出す意志であり、他者よりも上を行こうとする競争の意志ではありません

誰とも競争することなく、ただ、前を向いて歩けばいい

この考え方は、僕はとても好きです。

今まで、他人と比べたり比べられたりしていた自分に、スッと入ってきた言葉でした。

健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものである。

今の自分より少しでも、前に進もうとしていることこそ、とても価値のあるものなのです。

おわりに

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

偉そうに語ってきましたが、ここで書いたことは、アドラー心理学のごく一部です。

そしてアドラーの言葉をたくさん引用しています。

実際、この考えを知ることで、僕は適応障害から救われたと思っています。

もっと詳しく知りたいと思った方はこちらの本を読んでみてください。

僕が人生のバイブルにしている本です。

現状に不満を抱え、劣等コンプレックスを抱えてたなあと思った方は、理想の自分に近づくためになにか行動を始めてみましょう。

僕は、ブログを書くことで前に進んでいると思っていますが、事実として、ブログを書くことは過去の自分と向き合うことに繋がっているのでとても効果的です。

というより、声が小さいから対面ではなく、文章で伝えていきたいと思うようになったんですけどね。笑

また、アドラー心理学については記事更新予定なので、その時はTwitterでお知らせします~

それでは、ごきげんよう!